蓮根バプテスト教会

巻頭言

2025年6月15日

真心からイエス・キリストは神であると信じます

 新共同訳聖書や新改訳聖書の翻訳には、8章37節が抜けています。新共同訳では本文から外して末尾に記載されています。新改訳や新改訳2017では本文から削除されており、注意書きのところに小さく記載されているだけです。これは、新共同訳や新改訳などの新しい聖書の翻訳の底本として用いられた有力なギリシャ語写本には37節が載っていないことが理由です。しかし、新しい翻訳の底本となった写本とは別の同時代の他の写本には37節は記載されています。むしろ、重要な信仰告白だからこそ一部の写本には記録されたのだと思います。決して一部の写本にしか記載されていないからと言って、37節を軽視するべきではありません。
 37節には「フィリポが、『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、 宦官は、『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた。」と証言されています。この37節の言葉こそが、初代教会における洗礼式の信仰告白の言葉であり、キリスト教最古の信仰告白の一つだと考えられています。有力な写本にはなくても、歴史的には、古代教会の洗礼式の信仰告白を確認出来る重要な資料なのです。この37節のみ言葉は、聖書の時代から今日のわたしたちの時代にいたるまで、変わらない信仰告白の神のみ言葉として、大切にされるべき聖書のみ言葉です。使徒言行録8章37節に証言されている通りに、真心から主イエス・キリストは救い主なる神であると信じ告白していきましょう。

主任牧師 髙木康俊

巻頭言

2025年6月8日

神の偉大なる御業を語ろう

 今日はペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝です。約二千年前のペンテコステの日に主の御霊である聖霊が地上に降って来られて以来、聖霊降臨は継続中です。今もわたしたちが心を一つにして礼拝をおささげする時、キリスト教会が誕生した日と同じように、わたしたちは聖霊に満たされる礼拝をおささげできるのです。父なる神が主イエス・キリストを通して地上に注がれた聖霊は、今も降り注がれ続けています。聖霊降臨こそが神の偉大なる御業です。
 あなたも主イエス・キリストの臨在を求め、聖霊に満たされる日々を過ごしませんか?神の偉大なる御業を語る人になりませんか?それは素晴らしい神の栄光に輝く人生です。神の偉大なる聖霊降臨の御業を共に語っていきましょう。

主任牧師 髙木康俊

巻頭言

2025年6月1日

わたしはペトロ?それともユダなのか?聖霊に満たされる道を歩もう!

 ペトロもユダも同じように主イエスを裏切りましたが、ペトロは悔い改めて主に立ち返り、ユダは悔い改めることなく滅びました。わたしたちは、自分自身の中に、ペトロのように素直に悔い改めて主に立ち返る心があると同時に、ユダのような弱い心があることにも気づきます。そう思うと「わたしはペトロなのか?ユダなのか」と不安になるときもあるでしょう。でも、大丈夫です。主は、ユダのような弱さで滅びることのないようにと十字架にかかってわたしたちの罪を贖ってくださったのです。ですから、主イエスを信じて聖霊に満たされることを求める人は、誰でも救われるのです。主に感謝しつつ、主の御霊なる聖霊に満たされる道を歩みましょう。主はあなたを必ず守ってくださいます。ハレルヤ、感謝します。

主任牧師 髙木康俊