蓮根バプテスト教会

巻頭言

2026年1月11日

万事が益とされると確信しよう

 人生には様々な出来事が起こります。良いこともあれば悪いこともあります。つらく悲しいことを体験すると心に傷が深く残ります。その傷が癒され、心の痛みが消えるのには時間がかかります。生きる時間が長くなればなるほどその心の傷は増え、癒されずに、痛みは心の奥底にしまい込まれて、いつのまにか忘れてしまいます。でも、ちょっとしたことをきっかけに忘れたはずの心の傷がよみがえって突然の痛みに心が動揺するのです。そのような経験をなさったことはないでしょうか?多くの方が同じような体験をなさっていると思います。
 しかし、わたしたちイエス様を愛するクリスチャンは、このような心の痛みに対処することができます。主イエス・キリストによって万事は益とされると信じて、主にすべてをゆだねることができるからです。主は良いことも悪いこともすべてを良きものとして用いてくださり、万事を益としてくださるのです。それがイエス様の十字架の贖いの御業なのです。イエス様の十字架には人を愛し癒す力があります。主イエス様を愛する者は、万事が益とされる喜びと平安の人生を生きることができるのです。あなたも、主イエス・キリストを信じて、万事が益となるすばらしい人生を歩んでください。お祈りしています。

主任牧師 髙木康俊

巻頭言

2026年1月4日

日本に義の太陽が昇るとき

 日本ではお正月にたくさんの人々が初詣(はつもうで)に出かけます。初詣とは、新年に初めて神社やお寺に参拝して新年の健康(無病息災)や家内安全、商売繁盛を祈願する日本の伝統的な行事です。しかし、家族や身近な人がなくなって忌中(きちゅう)の人は神社に初詣に行くのは控えねばなりません。神社の神様は穢(けが)れを嫌うからです。いずれにしても、日本の初詣という文化習慣の中には、病や死や貧困を穢れと捉える信仰が残存しています。神道で言う「穢れ」とは生命力が枯渇することを指します。つまり、死や病や貧困に対して神道や仏教は恐れを抱いているということです。しかし、クリスチャンは死や病や貧困を穢れとは考えません。死や病や貧困に対して勝利している主イエス・キリストの十字架と復活の力を知っているからです。この主の力をいただいて、わたしたちクリスチャンは、いついかなる場合もすべてのことに対処することができます。わたしたちを強めてくださるキリストのおかげで、わたしたちにはすべてが可能なのです。
 2026年の新しい年を迎えて、真実の義の太陽であるキリスト・イエスを教会で礼拝し、真の初詣をいたしましょう。日本に義の太陽なる主イエス・キリストが昇るとき、この国のすべての民が救われるようにと祈ります。
 主の年2026年明けましておめでとうございます!ハレルヤ、アーメン。

主任牧師 髙木康俊

巻頭言

2025年12月28日

日本に住む民がキリストに希望をかける日が来る

 今年もあと数日で終わろうとしています。2025年の日本社会の歩みを振り返る時、わたしの心の中には「日本の人々は本当にイエス・キリストのことを知らないのだなあ」という感慨が湧き上がってきます。わたしも牧師となって約40年間にわたり、日本の多くの人々にキリストの十字架と復活の福音をお伝えしてきたのですが、日本に住んでおられる多くの方々は、日本国籍の方も外国籍の方も含めて、イエス・キリストに未だに無関心であると思います。そう思うと長年の疲れがどっと出てきます。
 でも、ひとたび主イエスの名によって神に祈りをささげると、わたしの内から聖霊によって希望が沸き起こってきます。そして聖霊の力によって希望に満ち溢れるのです。「いやいや、この日本に住む民がイエス・キリストに希望をかける日がやがてやって来る!」という確信が信仰によって得られるのです。そして、「わたしは福音を恥とせず、この救い主なるイエス・キリストを誇りとして生きる!」という喜びと平安がわたしを満たすのです。
 皆さんも、キリストを誇りとして、新しい年2026年をお迎えください。
アーメン、感謝します!

主任牧師 髙木康俊